喧嘩をすると私は涙を流してしまうことがあった。
毎回ではないけれど、悔しくて悔しくて涙が出てしまう。
だけど夫は私が泣こうが泣かまいが関係ない。
どんどん責めてくる。
そして話が終わってないのに寝る。
私は喧嘩のたび「消えてしまえればどれだけ楽か」と思っていた。
自分をどんどん殺していった。
何故、こんなに話が通じないのか。
何故、傷つく言葉を何度も私に投げ捨てるのか。
何故、何日も何日も無視するのか。
何故、いつも私が全部悪いのか。
もう訳がわからなかった。
私は途中から夫に「私という人間を理解してもらう」ということを止めた。
そしてある程度、好きにすればいいと思った。
連絡なく何時に帰ってきてもいい。
コンパに行ってもいい。
作ったご飯を食べても食べなくてもいい。
家族に時間を使わなくてもいい。
体調不良の時に「大丈夫?」といわなくてもいい。
妻子の存在を隠し続ければいい。
私はこんな風に少しずつ自分の理想を捨てていった。
その行為は、私の心を少しずつ消していった。
それでも彼は変わらなかった。
何も変わらなかった。
10年以上経過した、現在の私の感想
モラハラによる絶望感は深い。
自分の意思を奪われる。
元夫はよく「俺は家族の為に頑張っている」と言いながら、家族である私の心を「暴言」で絶望に突き落としていた。
こういった相反する言動はモラルハラスメント加害者によくみられる。
「俺は家族の為に頑張っている」と何度も言いながらも、暴言をはく。
暴言は横に置いて、献身的な自分を被害者に印象付けようとしている。
そして被害者に「彼は家族の為に頑張っている」と感謝することを強制している。
これは肉体的なDVに置き換えると、加害者は殴る、被害者は「痛い」と感じる。
しかし、加害者は被害者に「痛い」と感じることを禁じ、「気持ちいい」と感じることを強要している。
肉体的なDVに置き換えるとこれのヤバさに気付ける。
こんなに難解すぎるモラハラ加害者の心理を周囲が見抜けるわけがない。
モラハラ加害者が叫ぶ美徳は憎しみや怒りが変装した姿である。
と精神科医のアドラーが言う。
被害にあっている最中は心の中で「何故?何故伝わらない?」と何度も何度も考えていた。
自分の言葉が伝わらないのではなく、元夫が憎しみや怒りを私に放つ機会を常に探している。
だから伝わらないのではなく、理解しなくていいという姿勢で私と向き合っている。
サディストは破壊したり、支配しようという自分の願望に気付いていない。
そして、被害者は誰にも理解されず、心を消していく。
これに気付けた人は、自分の自由の為、新しい人生の始まりを思い描く訓練をすると良いと思う。
モラハラ加害者に印象付けられてきた「別れると困るのはお前」という圧は本当なのだろうか?
一度、真剣に考えてみてほしい。



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